その後も散発的に飛び降りは続き、平成30年は過去最高の10名の自殺者が発生しました。ここにおいても何ら対策は取られることはありませんでした。同一地点においてこの数は驚愕すべき数字です。
この事実を明らかにしなくてはならない。そう考えていた平成31年2月5日と6日は連続して飛び降りが発生し2名が亡くなりました。特に6日の事案は私自身が道路脇を歩く当該者を目撃しており、橋の上に残置された遺留品には見覚えがあり、警察からの依頼により収容されたばかりの遺体を確認しました。約120mからの高さから落下すると人間の体はこうなるのかと、目の前の事実に私は戦慄しました。
「対策を急がなくてはならない」、登別市においてある意味タブーとされている、この橋について、公の場で議論をしなくてはならないと考え平成31年第1回定例会、議会一般質問に「飛び降り自殺多発地点における本市の考えについて」と件名で質問通告書を提出し一般質問に臨みました。
私の質問に対し、登別市執行部の答弁は驚くべきものでした「道路管理者(北海道)に考えを伺ったところ、防護柵設置基準に従い、通行者の安全対策は図られている、確保されている」との見解でした。多くの人が自殺していることを知りながらこの答えと「笛吹けど踊らぬ」執行部の姿勢に対し私は大きな怒りと失望を感じながら、ハード、ソフト面における自殺防止の政策提言と併せ問題提起をしました。
私の一般質問など傍聴する市民はほとんどなく、執行部からは納得のいく答弁を得られぬままに時間切れとなり、やるせない思いを残し自身の一般質問を終えました。
しかし、数日後、幾つかのメールや電話をいただき、市民や職員の中には現地の状況を深く憂慮し、私の質問内容に共感してくれる方が少なからずいることを知り、大きな励みとなりました。
その後も毎日の大橋のパトロールは継続し現在に至っております。そのせいかはわかりませんが令和元年、北海道から自殺対策事業費(ハイリスク地対策事業)として約200万円の予算が付き、民間業者の巡回警備が行われることになり、赤色灯点灯の市公用車を常駐させ注意喚起を促す取り組み(冬季以外)等、少しずつではありますが、大橋における自殺防止の動きが出てきたように感じられます。
昭和61年の新登別大橋の供用開始以来、自殺者数は99名
令和元年7月8日以降、現在まで無事故が続いています。
Stop the one hundred(100を止めろ) 表題の意味はここにあります。