古き真実

 2026年の今から33年前、平成5(1993)年の28歳の頃に離婚を経験しました。
当時、長野県松本市のホテルで働いており、私はフロントで、当時の妻(以下「M」という。)は宴会部門で勤務しており、いわゆる職場結婚です。
 結婚から離婚に至る理由は長くなるので記述しませんが、二人の日々の暮らしの中でお互いのすれ違いが徐々に大きくなっていったことが記憶として残っています。別れるタイミングは何度かあったのですが、私は世間体を気にしてそれを先延ばしにしていたのです。
 ある日決定的な事がありました。それはお互いが休みの日でした、遅い朝10時頃目覚めてトイレに行くと風呂(当時はガス式で浴槽の横にガスの風呂釜が付いているものがあり、止め忘れると沸騰状態になった)がグラグラと湯立っておりMがガスを止め忘れたに違いなく、すぐにガスを消して用を足しました。トイレから出て居間に行くと、Mが憎悪の目で私を見て「なんでお風呂の火を消すの?なぜ意地悪をするの?」と私に詰め寄りました。
 「煮立っているからガスを消したんだ、自分で確認しろ」
 風呂の状態は一目瞭然です。それでも非を認めたくない彼女は私の至らぬ所、性格上の弱点を痛烈に批判し始め、起床したての私はすぐに臨界点に達し「いいかげんにしろ」とMの頭部を平手打ちにしました。それが私に対して積み重なっていたであろう憤懣が一気に破裂するきっかけとなり、Mは台所に向い包丁を持ち出し私に突進してきました。身の危険を察知した私は体を翻しすぐにMの右手を掴み、握りしめられている包丁を取り上げました。その際に私の左親指付け根が包丁の刃尻で深くえぐられました。
 翌日、癒えぬ心の傷を隠しながら出勤すると、先輩が私の包帯を巻いている左手を見て「それは刃傷沙汰の傷かい」と言いました。なぜこの人は刃物の傷だと知っているのだろうと疑問に思いましたが、やがてその理由が判りました。Mが社内でが「若木が包丁を持って私に暴行を加えた」と吹聴していることでした。
 話の内容が事実と正確に逆であることに驚愕し、本当の事を力説したところで誰一人私を信じる者もなく、やがてこの件は黙して語らずが最善の策と心得て、真実は心の奥底に沈めることにしました。また世間は女の話と男の話では女の話の方を信用することもわかりました。
 その後彼女は、本人いわく実家へ行ったり、「友人のところ」へ行ったり、再び戻ってくることはなく、後日渡された離婚届に私は印を押しました。辛い日々も次第に時間という砂の中に埋もれていきました。

 ほとんど人に話したことはありませんでしたが30年以上経過したので古い記憶の事実として記述した次第です。