母方の一族は中登別地区にある程度の面積の山林を兄弟名義で所有しています。これは祖父の代から受け継いだものです。
祖父は戦前樺太で農場を営んでいたそうですが、昭和18年それらを売り払い、家族全員引き揚げこの地登別に移り住み現在に至っております。小学生のころ祖父は孫の私にこの山林は土着の民から安く買ったと話しておりましたが詳しいことはわかりません。
 祖父はいわゆる「山師」気質があり、所有地の数か所にボウリングを行い温泉の掘削を行っていた時期がありました。温泉を掘り当て独自の温泉郷を所有する構想を持っていたようです。いずれの坑井も温水の噴出には至りませんでしたがその内のひとつは現在も清水がこんこんと湧き出ています。
 その地下水脈の吹き出しを我々一族は「ボウリング跡」と呼び、直径は約2m程ですが深さは推定でも数十メートル以上で、吸い込まれるような青藍の深淵は底なしです。厳冬期においても凍結することはなく、試しに近隣の小川で釣り上げたヤマメやニジマスをここに放流したところ、育成環境がマッチしていたようで、自然繁殖し大小の魚の姿が見られるようになりました。
 この山林の主な入山口は中登別側にありますが、「市有地立ち入り禁止」として関係者以外入森を厳しくしております。ただ下流の小笠原家所有地横のサケマス孵化場から支流沿いに藪道があり、ここから入森することも可能で、地元の山菜採り等の人はこれを隠れルートとしているようでした。
 私有地とはいうものの入山者がこの底なし池にはまれば危険です。数年前私は「ボウリング跡」池の周りに杭を立てロープを張り、定期的に周囲の草を刈り込めば、魚が遊弋する池もあり自然公園めいた一族の憩いの場所になっていきました。ただ中大型魚が徐々に少なくなっていくことが気になっていました。
 ある年の6月の頃、軽トラで現地へ向かいながら鎌で草を刈っていたところ、30代位の男性の姿を目撃。このような深い森で人影があることが不自然です。男性は小笠原家に続く細い藪道へと急ぎ足で立ち去ろうとします。私は軽トラで先回りし行き先を遮り、この見知らぬ男性を呼び止め、ここは私有地だが何の用かと尋ねると山菜採りだとの返答です。デイパックを背負い、腰にクリールバックが括り付けられています。すでに山菜の時期は過ぎておりデイパックの上部から仕舞い竿の先端が見えたので、釣りをしていたのではないかと問うと、判然としない答です。現地から川までは距離があり釣りをするとすればこの池しかありません。
 私は腰のクリールバックの中身を見せて欲しいと言いました。男性はおずおずと言に従い中を開くと30㎝程の数匹のニジマスが尻尾と頭を窮屈そうに曲げた状態で押し込まれておりました。魚の減少はこれの仕業かと私は激しい憤りを感じましたが、ここは冷静にと感情をコントロールし呼吸を整えて、男性に名前と住所、勤務先を尋ねました。男性は意外にも私の質問に素直に受け答えをしました。また、誰にこの場所を教わったかと聴くと会社の仲間に教えを受けたことも告白しました。
 男性の勤務先は市内でも有名な会社で、私はその責任者も顔見知りです。竿や魚をここで没収することも頭をよぎりましたが既に死に絶えた魚や竿を取り上げたところでお互いに後味が良くないだけと思い、私はこの事実を会社に告発しないかわりに、二度とこの私有地に近づいてはならないことを諭し、速やかに帰るように静かに伝えると、男性はお詫びの言葉を口にして足早にその場を立ち去っていきました。
 後日この会社の若い社員と話をする機会があり、私が説諭した男性の話になりました。男性は仲間にこう話していたそうです。「あの場所に釣りをして若木さんに見つかった、軽トラで追いまくられ、鎌を手にしてすごい形相で詰め寄られ怖かった、あそこには二度と行かない。」
 どちらの話が本当であるのかはご想像にお任せいたします。