静岡県浜松市には平成17年から3年ほど勤務しておりました。近くには浜名湖という汽水域の湖があり、全国的には鰻の産地として有名です。当時はホテルのフロントマンとして勤務しており、1階ロビー回りは私の守備範囲でした。
 ある日、勤務している臨時社員のおじさまから、鰻をもらってほしいとお願いされ、水槽ごと頂けるというので、とりあえずもらうことにしました。それは約20㎝の鰻で、ドジョウを大きくしたような個体で水槽内には塩ビ管と水以外には何もなく、まずは育成環境の整備ということで、砂利、エアポンプ、ろ過フィルター等を買いそろえました。
 宿泊者は「浜松=鰻」というイメージのお客さまも多く、この鰻をイメージキャラクターとして活用することを思い付き、上司の許可を得てこれをロビーで飼育することにしました。
 客商売上ビジュアルと水質の管理は重要です。1週間に一度は水槽内部に付着するアオミドロを除去し、水草(ホテイアオイ)や住処となる竹筒を入れ視覚的に清潔感、清涼感を保持するよう心がけました。名前など考えていませんでしたが何人ものお客さまや社員から鰻の名前を聞かれるようになり、「うな茂」という鰻屋があったので「茂」と名付けました。調べるうちにメスであることがわかり、改名し「茂子」となりました。
 餌は当初ホテル敷地内の土中にいるミミズでしたが、採取に手間が掛かること、釣り餌のアオイソメが代用になることがわかり、主食を切り替えました。餌がマッチしていたのかはわかりませんが、鰻の茂子は次第におおきくなり、最終的には50㎝近くになったと思います。私の顔を認識し、近づくと水面に浮遊し餌をねだるようになり職場から「鰻遣いの若」と呼ばれました。
 3年勤務した浜松もやがて転勤することになり、茂子をどうするかということになりました。職場でも飼育する自信はないといい、私も情が移っていましたので転勤先の東京へ連れていくことにしました。幸い居住先の近所にはアオイソメも売っており、餌の心配もなく自宅で飼育することにしました。
 しかし東京に移ってからは一切餌を食べず、竹筒から出なくなり「引きこもり鰻」となりました。一度だけ夜中に竹筒の中で狂ったように激しく尾を振り続けて、その音で目が覚めたことがありましたが、その後は全く動かなくなり衰弱して数か月後に茂子は死にました。
 外部環境の変化以外、水槽内の環境は水温水質を含め何も変わっていないのに東京は「何か」が合わなかったのでしょう。毎年、土用の丑の日が近づく7月になるとその「何か」が何であったのか、随分前の話ですが今もって気になる所です。