転機

 議員になる前は26年間、サラリーマンをしていました。今は消滅しましたが厚生年金事業振興団という名の財団法人でした。この法人は全国に200以上の施設があり、大きく2つの部門、宿泊・宴会部門と病院部門で成り立っており、私は「宴会部門の転勤組」として各地の宿泊宴会施設5か所を勤務しました。
 それまで勤務していた宴会部門はアルコール等を提供する「水商売」的要素があり、営業が長かったせいか、イベント、商品開発、日々の売り上げ、成績ばかりを追求する日々でした。お客様にも喜んでいただき、それはそれで充実感はありましたが、仕事の意味を深く考えることもなく、押し寄せる仕事を義務のように消化し月々のサラリーを得ておりました。
 平成20年4月に登別厚生年金病院の転勤となりました。初めての病院勤務です。今までの仕事内容とは抜本的に違うことに驚かされました。
 医師を始め、高度なインテリジェンスと職業人としてのプロ意識の高い職員が多く、患っている方の苦痛を取り除く、和らげるといった、損得勘定抜きで人として初源的なやさしさを持って患者さんに接する病院という組織は、私のそれまでの職業観を根底から覆すものでした。その中で事務員として6年を過ごしその間に私の中に仕事というもの、自分は何を成すべきかという問いが時折点滅するようになりました。

 ある日の午後、病棟で患者さんが無くなりました。遺族は遠方にいるとのことで、一晩病院の霊安室でお預かりすることになり、翌朝、開錠のため霊安室に病棟の看護師長と共に行きご遺体を目にすると、暗がりの中、鼻や口、耳から血が流れ出ており私のような門外漢には腰の引けるような光景です。しかし看護師長はご遺体に「〇〇さん、毎朝痛かったもね、我満したもね、もう痛くなくなってよかったね、」とごく普通に生きている人に話しかけるように語り掛け、ご遺体の額をさすりながら酒精綿で綺麗に血をふき取る姿に衝撃を受けました。その光景を前に感じたのは、この人の行動は看護師という職業的責務からのものではなく、心からこの作業を行っている、この人はこの仕事をするために生まれてきたのではないか。

 目の前の出来事に、「使命」という言葉の意味が現実性を帯びて私の中に点灯しました。

 この日からこれから自分が行く道、目的がある程度定まりました。公職に就いて地方政治の仕事をしてみたいと漠然と思っていたものが、そのための具体的な準備と行動を始めたのはこの日の出来事が転機になったと感じています。