算数

 小学校3年生の頃の話です。当時は教諭がクラスを受け持った場合、2ヵ年担任する制度でした。(現在はどうでしょう)私の場合1・2年生時の担任は女性の教諭で、比較的穏やかな学校生活を過ごしていたと記憶しております。 
 3年生となり担任が変わりました。転勤してきたばかりの男性の初老の教諭でした。H教諭とします。クラスメイトの話では前任地は登別温泉小学校で教頭だったとのことでしたが、真偽のほどは定かではありません。私たちの担任時は一般の教諭でした。
 当時、学校の先生は威厳があり、先生の言動は正しいと小学生の私は信じておりました。クラスの担任が主要5教科をはじめすべての教科を教えており、私たちはH先生の教えを受けることとなりました。各教室にはオルガンがあり、朝などは先生の弾くオルガンに合わせ、合唱などしているクラスもありました
ある時H先生はオルガンを弾き始めました、鍵盤はすべて右手の人差し指一本でゆっくりと、そのメロディラインは今まで聞いたことのない、奇妙なリズムでした。私たちはその御詠歌のようなリズムに合わせ歌いました、たしか曲名は「こだま」だったと思います。世の中には変わった曲もあるものだと思っておりましたが、ある日隣のクラスから流暢な伴奏に合わせ「こだま」の歌が聞こえてきました。隣クラスの担任は女性で音楽を得意としており、歌詞と曲調が一致しており、私たちの習った曲とは完全に別物で、さらに四部輪唱でリズミカルにまさに廊下にこだまして、正しいこだまの歌をそこで知りました。
 
 今も強く記憶に残るのは、「5時間連続算数事件」です。確か9月下旬の火曜日でした。その日は朝の1時間目に算数の授業が行われました、H先生の教え方が高尚すぎたのか、私たちのあまりの理解度の悪さに先生は逆上し、2時間目も算数をやると言い始めました。算数の嫌いな私は苦手な科目が1コマ目で終わることをその日の心の拠り所としていましたので、がっくりとしました。2時間目が終わり、やっと算数から解放されると思いきや、午前中はすべて算数を行うと宣言し、暗澹たる気分になり、さらには給食後の午後5時間目もまた算数を行うと言い出した時、私たちの集中力は完全に途切れ、机に臥せっている子も散見されるようになりましたが、その様な状況においても算数は続行されました。
 やがて終業時間となり辛く長い授業から解放されたものの、何ら達成感はなく、覆いかぶさるような暗曇の下を身心ともに疲れ果て家路に就きました。

 私は帰宅しその一件を親に伝えました。当家はさしたる興味を示しませんでしたが、クラスメイト全員がその一件を親に伝えたことはほぼ間違いありません。
担任は1年で変わりました。それ以降H先生の記憶はありません。また、その印象が強すぎて他の記憶は埋もれてしまったのか、小学3年時の学校の記憶はそれしかありませんが、算数はますます嫌いになりました。小学校時の教員の教えは良くも悪くも永く記憶に残るものだと今つくづく思います。