ヤルタの密約

 1945(昭和20)年の終戦から今年で81年経過いたしました。
この時期は各種のメディア等で太平洋戦争の特集が組まれるのを目にしますが、日本の敗戦間近の昭和20年2月に、クリミア半島南部のヤルタで連合国の主要3か国(アメリカ、イギリス、ソビエト連邦)による、ドイツ及び日本降伏後の戦後処理とその取り扱いについて会談が行われました。これがいわゆるヤルタ会談です。期間中の半分以上はヨーロッパの戦後レジーム体制の協議でしたが、その中でアメリカとソビエト連邦(以下「ソ連」という。)の間で密かな協定が交わされました。その内容は日本に対するもので、
要約すれば アメリカはソ連がドイツ降伏後90日以内に日本に対し参戦してくれたら
・沿海州の主権回復
・樺太南半分の領有
・千島列島(クリル諸島)を引き渡す
を認めるというもので、これはほぼソ連の要求を満たす内容でした。
アメリカのメリット
・本土決戦になった場合の軍備、人的損失の回避
・日本の降伏促進
・南方の日本領の獲得
 これが「極東密約」とよばれるものです。当時のソ連と日本は日ソ不可侵条約を結んでいましたが、米ソ大国同士の利害の一致の前には条約など反故同然ということになり、8月8日にソ連は一方的に日本に宣戦布告しソ満国境、樺太国境(北緯50度)から南下進撃を開始。日本はポツダム宣言を受諾し8月15日正午の玉音放送をもって戦闘状態は終わりを告げました。
 この時はまだ千島列島最北端の占守(シムシュ)、幌筵(パラムシル)両島にソ連の攻撃はなく停戦状態でしたが、8月18日未明突如としてソ連は両島に砲撃、上陸を開始し、これに対しわが軍は自存自衛手段として両軍で激しい戦闘が繰り広げられ21日16時停戦交渉、23日武装解除をもってわが国の自衛戦闘はすべて終了しました。
 江戸時代から日露(日ソ)両国の国境は択捉島のもう一つ上の島の得撫(ウルップ)島とされており、我が国が領有を放棄したのは得撫島以北の千島列島で、いわゆる北方四島は歴史的にも完全に日本領との認識です。一方ソ連はクリル諸島は北方四島を含む全てとの認識で、解釈の違いは現在もそのまま続いています。
 歴史に”IF ”はありませんが、上記の米ソ極東密約に島名の明記があればその後は違った展開となったとも考えられるのです。