登別の名前の由来は北海道各地名の御多分にもれず、アイヌ語で「ヌぷル・ペッ」(色の濃い川)の意味が語源となっています。現在も青白い色の川の色をして太平洋に注ぎこんでいます。
豊浦町を河口とする貫気別川(ぬっきべつがわ)や日高額平川支流のを貫気別川(ぬきべつがわ)は、「ぬプキ・ペッ」(濁り水の川)が由来ですがこれら「ぬプキ」と、登別の「ヌぷル」にはどうも違った意味がありそうです。
地名アイヌ語小辞典(知里真志保著)でヌぷルを調べますと、①色が濃くある(なる)のほかに②巫力ある、霊験ある、の意も記されております。青森からイカを追って北上していた漁師は登別沖にくると、かすかに硫黄の匂いがすると話しておりました。アイヌ民族もこの川の色には何等かの自然的な畏怖を感じ取っていたのかもしれません。
登別川は上流に向かい約5㎞地点で右から支流クスリサンベツ川(アイヌ語でクスリ・エ・サン・ペッ)が流れ込みます。登別川の青白色の主因は本河川であり、上流に登別温泉があります。この川はそれ自体が温泉成分であると言っても過言ではなく、PH値が高く、魚類は当然のこと水生昆虫さえも生息していません。アイヌ語も「クスリ」は薬・薬湯の意ですので、前出の辞典でクスリサンベツの意味を調べ要約すると、「薬・薬湯がそこで流れ出る川」的な訳意となります。
登別温泉が初めて歴史上に登場するのは最上徳内が「蝦夷草紙」にノボルベツとして紹介したのが最初ですが、和人が分け入るはるか以前よりアイヌ民族はこの河川での沐浴効能を知っており、外傷治癒等の湯治的利用をしていたと考えられます。
現在はあまり重要視されることの少ない「温泉療法」ですが、そのリラクゼーション効果は誰もが知るところであり、飲泉等もまた天然の良薬としていずれの日にかまた脚光をあびる日が来るのかも知れません。