鎖国とはだれもが聞いたことがあるワードです。 幕府により1639(寛永16)年から1854(嘉永7)年の215年の永きに亘る排他的国内優遇政策で、西欧諸外国はこの間に飛躍的な発展を遂げました。
国を閉ざしている間、我が国と言えばガラパゴス島の陸海イグアナのごとく独自の文化を発達させましたが、完全に他国交易を廃止したのかといえばそうではなく、対外的主要な貿易はオランダと清国で有名な長崎の「出島」で幕府直轄、小規模ながら琉球は薩摩藩、朝鮮は対馬藩、ロシアは松前藩と小規模な交易を行っていたようです。
世界情勢を知りえるのは出島からのオランダ情報のみという矮小さで、西洋の医学、天文学、語学、物理学、化学、測量術、兵学など多岐にわたる分野を「蘭学」として集約されておりました。蘭学者は当時のスーパーエリートであったに違いありません。
世界のパワーバランスはイギリス、アメリカのアングロサクソン系にシフトしつつあり、「トカゲの楽園200年」の間に欧米と我が国の間には圧倒的な差がついて、ペリーの黒船来航の頃には「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯で夜も寝られず」といった狂歌は有名です。
鎖国は負の側面ばかりではなく独自の文化を繚乱させました。浮世絵などの大胆な構図はフランス画壇の印象派に大きな影響を与え、家紋のデザインはルイヴィトンのモノグラムの参考になったとの事です。出島にはオランダ商館が置かれオランダ商館長と医師の他約10~12名が常駐していました。医師は学者でもあり当時の日本人の文化、生活、風土を詳細に記録し西欧に広く紹介しています。(出島3学者 ケンペル、ツュンベリー、シーボルト)その中のエンゲルト・ケンペルの「日本誌」の一節に
「日本人は極めて肝の据わった、気骨のある聡明な人種であり(中略)しかもこの国民は、己を持すること高く、尚武の精神に燃えているのにもかかわらず、殊のほかに親切で、如才なく、特に非常に新奇を好む点は、世界の他の国民の遠く及ばぬところである。特に日本人が外国の歴史、制度、芸術、学問などについて何かを見聞しようとする意欲は格別である」との記述があります。このスピリットが再び萌芽する日が訪れるかは不明です。
江戸中期~後期の人口は約3,000万人程なので、国勢は急速な速度で振り出しに戻りつつあることは間違いなさそうです。
余談ですが
「このような高い素養を持った国民が所どころで放屁するのは理解しがたい」という一節があったように記憶していましたが、この一節は探し当てることはできませんでした。
鎖国
