模造刀

 昭和の頃の話です。私の実家は玩具店(おもちゃ屋)を営んでおります。昭和50年代は日本全体が上り調子で、現在は厳格なルールがありますが改造拳銃に加工可能なモデルガンや精巧な模造刀の販売も規制が緩く、それらをおもちゃ屋の店内で売ってもよい時代でした。
 ある日店主である父が店番をしておりますと、かつての知り合いが来店してきました。父は店を営む前は富士鉄(現日本製鐵)の下請け会社の事務員をしており、来年した知人はその会社の作業員で、やや任侠気のある男でした。
 「おお久しぶりだな」「そうだな、ここはアンタの店か」「そうだ、何でここにいる?」「近くの病院に通院してンだ、所でそこにいい刀があるな、それはいくらだ」「これは高いゾ、金はあるのか?」「金はある、それを売ってくれ」「毎度あり」といったやり取りで刀は男の手に渡りました。
 しばらくして近郊にある精神科の病院の看護婦長から店に電話があり、「オタクでうちの患者に刀を売らなかった?」「患者かどうかはわからないが知り合いには売った」
婦長いわく迷惑千万といった口調で「患者が病院内で刀を振り回して暴れて大変なことになったのよ」といった一幕があったそうです。

 先般、所属する団体の会があり終了後に歓談しておりました。そこで委員長が昭和時代、精神科の病院に勤めていたときの話になり、「あるとき患者がどこからともなく日本刀を持ち出して病院の壁を突き回すわ、人を追いかけ回すわ大変な騒ぎになり、私が身を挺して男と対峙し、刀を取り上げたことがあった。『気〇がいに刃物』とはあのことで、どこで手に入れたか知らないが全く迷惑なことだった」とやや憤慨ぎみで当時を語っておりました。
 誰が売ったものかは言うまでもなく、私は黙って下を向いておりました。