このような形で弔いの文を記すとは、想像だにしておりませんでした。
短躯よく、課題に取り組む人でありました。
「友を選ばば書を読みて、六部の侠気四分の熱」まさにそのような人でありました。
私より10歳ほど年長でしたが、倫理観、宗教観が似ており得難い盟友であると感じておりました。
第2回定例会後、前浜で揚がった蟹を肴に酌をくみ交わす約束をしておりました。
あなたは東京が好きでした。「東京に来ると元気がもらえる」と言っておりました。靖国神社は私が、明治神宮はあなたが案内してくれました。連れて行って下さった、神楽坂「志満金」の鰻 おいしゅうございました。神田「まつや」のもりそば おいしゅうございました。
そして心が弱ったときは室蘭水族館のクラゲを観ることがあなたの心の癒しでした。
寛志(かんじ) その名のとおり、寛き心を持った士でありました。
自分の意思にそぐわぬ事に対してはテコでも動かぬ強い意志をもっておりました。
私が失意の渕にあるときは、そっと寄り添ってくださる心優しい方でありました。
あなたは言いました、
「仕事は夢とロマンをもって行うこと、言葉を使って物事を動かすこと、少しでもこのまちがよくなること、それが我々の仕事だ。」
協働の日々はこれからも続くものと信じておりました。
離れ難き心の折り合いは未だついてはいませんが
永訣の時を迎えるにあたり、送る言葉をかく記します。
「田中の前に田中なく、田中の後に田中なし、壮士ひと度去りて、また、このひとなし。」