80年前の12月8日未明、旧日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争の火蓋が切られたのは多くの方がご存知のことと思います。
また「だまし討ち」「リメンバー・パールハーバー」という言葉を聞いた事がある方も多いと思います。
国家間の「戦争」は外交手段の一つで、戦争開始前に相手国に対し最後通告の手交にという外交手続きを経て宣戦布告し、始めて戦闘行為が可能となります。
真珠湾攻撃隊の攻撃開始予定時刻はハワイ時間午前8時(ワシントン時間で午後13時30分)
12月8日ワシントン時間の午前10時、日本大使館は「帝国政府ノ対米通牒覚書(最後通告書)作成にあたっては専門タイピスト(アメリカ人)を使ってはならない」という本国からの訓令を愚直に守り、覚書作成に手間取って、午後1時に手交せよという命令に間に合わず、国務省にて13時面会約束のハル国務長官に面会時間の遅延を申し出て、結局最後通告書を手交した時間は午後2時20分でした。
すでにその50分前に真珠湾攻撃は開始されており、パールハーバー及び停泊中の艦船は火の海となっていました。外交手続きより攻撃が先となってしまったのです。
当然ホワイトハウス及び国務省はそのことを知っており、ハル国務長官は野村・来栖両大使が持参した覚書を読み「これ程、恥知らずで偽りに満ちた文書を作る国があろうとは信じられない」と言って握手もせず、退席を促したそうです。
事前通告なしの攻撃に当然アメリカ国民は怒りに燃え、反日意識は最高潮に達し、対日作戦が本格的に始動されることになりました。
そして3年9ヶ月後、日本国軍は徹底的に撃滅され、日本の主要都市は焼け野原にされ、最終的に原爆投下の遠因ともなります。
歴史にIFはありませんが、専門タイピストを使って、予定どおり午後1時に最後通告を手交できたのなら、少なくとも「だまし討ち」と言われることはなかったのではないかと思います。
パールハーバーと外務省