下座業

 日頃より道路脇に捨てられている種々のごみに我慢がならず、意を決し、路傍の投棄物のサンプリング(ゴミ拾い)活動を行いました。
実施期間は令和元年6月1日~8月31日まで、3か月間、場所は道道2号線 登別潮見坂~紅葉谷入口の間、ほぼ毎朝6時から7時の間行いました。
サンプリングで得た事実
・ゴミは毎日捨てられる、同じ場所に捨てられる
・捨てる者は特定の者である、
・投棄される内容から男性、比較的若年層が多い
・擦れられているゴミのほとんどが飲食物の容器、パッケージである
・捨てられる時間は未明、若しくは早朝である
・主として地元住民、北海道民が捨てる、観光客は少ない
ごみサンプリングを行って感じたこと。
「昨日拾ったところに今日また捨てられている。」 この繰り返し、まさに「ネバーエンディングストーリー」です。

 この活動を行うようになって、年に数回ある本州等の視察時には道路脇に注意が行くようになりました。本州のどこに行っても道路脇にはゴミは極めて少ないことがわかりました、九州の片田舎であってもそうです。東京都内(新宿界隈以外)に至ってはほとんどありません。住民の意識がここに至るまでには多分長い時間がかかったと思われます。
 北海道は歴史も約150年と浅く、郷土に対する愛着心は本州に比べ熟成の途上であると考えられます。明治中期の大量入植から5世代目になろうとしていますが、本州の数百年の歴史には比べるべくもなく、北海道のモラルの低さは目を覆うべきものがあります。
最近プラスチックごみの問題が取沙汰されていますが、不法投棄されているゴミが悪い訳ではありません、ゴミ類が自分で野山に這い出るはずもなく、これらはすべて人間の所業です。人間の意識が変わらない限りこの種の問題はなくなりません。

従来の対症療法的なゴミ拾い活動、街頭での啓発活動では不法投棄の発生は減らない。時間を掛けた川上からの防止策、教育現場においての実践活動、小学校、中学校等における授業の一環としての実践的な教育が必要ではないかとの結論に至りました。
男性は妻の言うことを聞かない人が多いが子どもの言うことは聞きます、娘の言う事はなおさらです。家庭ごみ分類の普及は学校で教育を受けた子どもが大きな役割を果たした事はよく知られていますが、現在投棄癖のある者は自身の調査結果から若年層の男性が多いと推察されます。この者が妻帯し子どもを設け、その子が小学生になった時、学校活動の一環として自分の子どもが路傍のゴミ拾いを率先して行っている事実に遭遇したとき、当然自らの所業を顧みることと思います。 
また、一度ゴミ拾いに参加した者はごみを捨てなくなります。ゴミ拾い活動を体験した児童は成人後はもはやゴミを捨てる人間ではありません。
知識の吸収が早い子どもの内から教育指導の中にゴミ拾い活動を導入し環境保全の重要性をインプリント(刷り込む)すべきではないかと考えます。
幹線道路を走行するのは地域住民ばかりではなく、北海道内の他自治体の住人、観光客等も目にすることとなり、この活動を継続すれば、意識は徐々に道内に浸透することと思われ、将来的にかなりの効果が期待できます。

 小さなことでも長年にわたり継続すれば必ず一定の成果が得られることは誰もが知りうる事実です。