パール博士の伝言

 終戦の日が近づいてきました。昭和20年8月を境に日本の価値観は大きく変化しました。GHQの日本統治政策を敏感に察知した、一部の知識人は自らを「進歩的文化人」と称し、戦前、戦中のすべてを悪しきものとして、敗戦以前の為政者たちに痛烈な批判を浴びせました。
 戦後まもなく連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)が行われ、侵略戦争に至らしめたとされる政治家、軍人がA級戦犯として7名が絞首刑、16名が終身禁固刑に処せられました。(B・C級裁判も多くの悲劇を生みましたがここでは割愛します)
 裁判官・判事の多くは連合国側である中、判事の中では唯一の国際法の専門家であった、ラダ・ビノード・パール判事(インド派遣)だけは被告全員を無罪としました。
 昭和27年11月6日、広島高等裁判所におけるパール博士の講演内容を以下に記します。

「私は1928年(昭和3年)から45年(昭和20年)までの18年の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる事実の歴史を、どうか私の判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。誤られた彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならぬ。」

 我々日本人は正しい歴史を研究し、学び直さなくてはならないのではないかと感じています。