邂逅

 小学生3年生のとき、同じクラスにKさんという女の子がいました。どのような事情があったかわかりませんが、Kさんの左の下唇からあごにかけて、軽くはない火傷のあとがありました。ご両親もどんなにか胸のつぶれる思いだったことでしょう。
 小学生の男の子は思ったことを口に出す残酷な一面を持っています。暴力は振るわないものの、我々男子はこぞってKさんを罵ったり、ひどい替え歌を歌ったりしてKさんを揶揄したりしました。その様なときにおいても、いつもKさんは泣いたりせずじっと黙ったままでした。小学生にして自分の境遇をすでに受け入れていたのでしょう、強い風や通り雨をやり過ごすように、静かに時が過ぎるのを待っているのです。我々はKさんがクラスメイトと話をしている姿や、声を聞いたこともありませんでした。その後クラスが変わりKさんの記憶はありません。
成長し、人の心の痛みが判り始め、かつてKさんに浴びせた言葉を思い出す度「何と酷いことを言ってしまったのだろう」との悔いが芽生えていました。今も昔も女の子は陽気にはしゃいで友達とおしゃべりをします、でも私にはいつも一人で、じっと耐えているKさんの姿しか思い浮かばないのです、学校には行きたくなかったでしょう、楽しいことの少ない少女時代だったことでしょう、彼女のことを思い出す度、どうか幸せで暮らしていますようにと願っておりました。

 2月末、ある国家団体の新卒予定者を対象にした激励会があり、そこに出席した私は、父兄のテーブルに挨拶まわりをしていました。そして一人の女性に近づいたとき、私は硬直しました。Kさんです、見た瞬間、間違いないという確信はありましたが、確認のため「違っていたらごめんなさい、もしかしてKさんではないですか」と問いますと「そうです」との返答。私自身幼少期からメタモルフォーゼし、中学校以前の面影はないと言われますので、自分の名前を慎重に告げて、私のことを覚えているか確かめました。
「若木くんなの?覚えてるよ」と驚いた様子のKさんの顔は、整形外科の進歩によるものでしょう、火傷の痕跡は認められず、幾分かふっくらとしてメイクも自然で、それは彼女の現在の暮らしぶりを反映するかのようでした。新卒者は次男で、出席予定の夫は体調不良で急遽代理出席したとのことです。
 結婚し、男の子を二人もうけ、母として両方をしっかり育てあげ彼女は幸せに暮らしていたのです。彼女の許を巣立としている次男は背の高い凛々しい青年でした。

 「子どもの頃、Kさんは我満強かったね、辛抱強かったよね」と話し掛けると「今も辛抱強いのよ」、そして「幸せそうだね」との私の問いに「割とね」の答えに、Kさんと初めて会話していることに気付き、微笑む彼女を見て、長年の思いを遂げることが出来たと同時に、ご両親は元よりKさんを見守ってくれていた何かに感謝せずにはいられませんでした。
 私は2017年の段階で51歳、あと50年以内でこの世の役目を終えることは間違いなく、さらに自主的に社会的生活を送れるのは今後30年と考えております。その間は与えられた役割があり、その使命をこなさなければなりません。その中でもいずれか直接会って過去の非礼を謝りたい人が何人かおります。
Kさんもその内の一人でしたが、今回の思いがけない再開で 長年張り付いていた心の滲みは一つ消えたようです。滲みはまだ沢山ありますが一つ一つ消していこうと考えています。