辺境の湖

 私の住んでいる中登別の近くにクッタラ湖という湖があります。周囲約8km、最大水深148mの円形をした典型的なカルデラ湖です。所在地は白老町にありますが、そこに至る舗装道路は登別市側に限られており、そこに訪れる観光客も登別温泉を目的とした旅人が多いようです。

 今ではほぼ伝説の域に入りつつありますが、この湖にはかつてヒメマスの養殖に情熱を掛け、この湖のほとりで生涯を終えた一人の女性がいました。中尾トメ女史 大正の世に在りながら英文の書籍を読みこなし、洗練された洋装、軽やかな身のこなしと乗馬術は地元の住民を驚かせ、その美貌も相まって「別荘の奥様」「沼の奥様」と羨望と憧憬の目で見られていたとのことです。
 魚類の生息していなかったこの湖で、夫中尾節蔵らが立ち上げた養殖事業を引き継ぎ、養殖事業撤退の後も、炭焼き、林業を生業にしながら、彼女はクッタラ湖畔での生活を変えることはしませんでした。
札幌で暮らすことを選択した夫節蔵は、北大の講師を勤めながらも放蕩癖があり、その子を宿した女性たちをトメは自分の許で預かり出産まで面倒を見るなど、寛容と慈愛のこころを持っていました。昭和17年、この地で63歳の波乱の生涯を終えました。

 昭和2年、クッタラ湖の水を使い、アヨロ川に放水する発電計画が持ち上がりました。この事業計画を道庁に申請したのは夫、節蔵でした。当時は登別温泉の水源はクッタラ湖の伏流水と考えられていましたので、温泉町の住民から猛烈な反発を受け、この計画は立ち消えとなりました。この温泉住民の怒りは妻であるトメにも向けられ、軌道に乗り始めていた温泉旅館への養殖ヒメマスの販路をここで失い、養殖事業は閉鎖の止むなきに至ったのです。

 クッタラ湖の語源である「クッタル・ウシ」はアイヌ語で「イタドリが群生する所」を意味するそうですが、これだけの面積を持つ湖に「トー」(湖沼の意味)の名詞が付かなかったのは、河川を山への入り口と考えるアイヌ民族にとって、流入、流出河川のないこの湖はたどり着くのも、千古斧鉞の昼なお暗い原生林や、背丈ほどある千島笹をかき分けなければならず、着いても漁る獲物なく、労多くして益なきこの湖に、訪れる機会は少なかったのではないかと考えられます。

 湖畔にはレイクハウスが一棟ありますが現在は休止中で、常時滞在している人はなく、秋などは湖面をわたる風の道が見えます。かつては湖の北西部の湖畔にユースホステルがありました。現在はそこへ行く道もすべて樹木が生い茂り、その痕跡はほぼなく自然に還ったようです。
 静寂を寂寥と感じるか、自然への帰化を荒廃と感じるか、手つかずの自然を未開と感じるか、捉え方は人様々でしょう。国内湖中、透明度第2位、水深度第6位、地域におけるこの素晴らしい素材をどのように後世に伝えていくのか、開発には自治体の枠を超え、住民や有識者と十分な議論が必要であると考えます。
 中尾トメが生活した跡は湖畔にはもう殆ど残っていません、しかし今も湖を遊弋するヒメマスはまごう事なき彼女の遺産です。