今日、日本国憲法が公布され70年になります。与党による憲法改正、公民投票の実施が議論されていますが、現憲法が発布された昭和21年11月3日の国内の現状はどのようなものであったのでしょうか。
昭和20年8月、敗戦による無条件降伏後、我が国はダグラス・マッカーサー元帥を総司令官とするGHQの支配下にあり、いわば被占領国の状態にありました。着任後マッカーサーはただちに改憲作業の開始を命じ、翌21年2月、連合国軍総司令部によって作成された草案を基に、日本側による修正が加えられたものが現行の憲法です。
あまり知られていない事実ですが、憲法草案はすべて英文で記述されていました。日本政府に手交され日本語訳と内容は若干の修正がなされましたが、その骨子はGHQ草案であり、当時、吉田茂首相の側近を務め、官僚として憲法改正に深く関わった白洲次郎はその手記の中で「コノ敗戦再露出ノ憲法ハ生ル。『今に見てゐろ』ト云フ気持抑へ切レス、ヒソカニ涙ス」と嘆いています。以来、昭和22年5月3日の施行から現在に至るまで一度も改正はなされていません。
GHQは憲法の中に戦力を保持しないと謳わせながら、昭和25年朝鮮半島で動乱が起こると、我が国に対し、国内の治安維持の名目の下、自衛隊の前身である警察予備隊を設立させました。その内容は、アメリカから貸与された兵器を運用するものであり、事実上の再軍備です。自衛隊は違憲とする議論の根幹はここに始まり、当該組織の創設は憲法9条に抵触するとして、本来この段階で徹底的に審議されるべきものでしたが、占領下の我が国においては「宗主国」の命令には逆らえませんでした。
昭和27年のサンフランシスコ平和条約の締結により、我が国は占領状態を脱し主権を回復しました。その後の経済発展を経て現在までの道程は今更いうまでもありませんが、先般国連で採択された核禁止条約制定交渉開始の議決について、被爆国でありながら日本が反対の立場をとったことについては多くの国民が驚いたはずです。棄権の選択肢さえも許されなかったこの決定の背景について、かつての宗主国の影響力が今だ見え隠れする今日この頃です。