登別に住み始めてから8年が経ちます。拙宅の庭には小池があり、川の水を引いて魚を飼っています。魚は4月頃、近所にある小川から釣ってきたニジマスを入れて、池に氷が張る11月頃にはまた元の川に放します。
今まで様々な天然のサケ科淡水魚を飼育してみました。ヤマメは警戒心が強く餌付けが難しく、イワナは環境が合わないと池から飛び出し姿を消します。その点ニジマスは環境への順応性がよく、池に入れて1週間もすると与えた餌を食べ始めます。ここ数年以降は飼育しやすいニジマスに落ち着きました。
約20㎝以上の個体を5尾ほど入れるのを習わしとしていますが、餌はミミズです。自宅横の家庭菜園を掘り起こすと、太く艶のよいのが無尽蔵に出てきます。土中の滋養に満ちた生餌は魚にとっても旨いらしく、池に放りこんだ途端、電光石火のごとく食いつき丸吞みします。釣果によって30㎝を超える個体が混じる年もあります。昨年と今年がそうでした。これら大型個体の共通点はいわゆる「学習能力」が高い点にあります。2日に一度の割合で餌を与えていますが、初めのうちは着水したミミズを就餌していますが、日が経つにつれ私の姿を目視すると水面を遊弋し、近づいてくるのは決まって大型魚であり、そのうちミミズをつまんで水面に垂らすと何の違和感もなく食い付くようになります。他の魚にそのような現象は見られません。今年の大物は水面から20㎝上にぶら下げているミミズをジャンプして就餌するまでになり、他に比べ一層大きくなっていきました。
そのようなことから、魚体の個体差は年齢の違いの他に、学習能力の差が大きな比重を占めていることが飼育をとおして考察できました。
新しいイノベーション等にチャレンジし、それらを学ぶ姿勢がなければ、時代に取り残され過去の遺物となります。その軸となる記憶力は先天的な要素が大きく、今まで私が接してきた官民を含めた社会的地位のある方々の多くは、当然本人の努力もあったと思われますが、皆さん卓越した記憶力の持ち主でした。
反面、私は同じ文書を数十回読んで、やっと断片的な記憶が残る程度です。記憶ができないからと言って努力を放棄するとその結果は自分にはね返ってきます。毎日私の脳細胞がどれ程の数が消滅しているのかは分かりませんが、これからも無駄とも思える努力を続けていく覚悟です。
池の大型魚は、9月下旬のある日突然姿を消しました。私の与える餌に依存し、野生の警戒心を失っていましたので無防備に水面を泳ぎ、テンもしくはアライグマに捕獲されたと考えられます。
「好事(好餌)魔多し」、改めて肝に銘じたい言葉です。