登別市議会第4回定例会 一般質問が終わりました。

平成27年12月8日(火)13時より、一般質問を行いました。内容はJCHO登別病院の廃止問題です。JCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)の運営する登別病院を、平成29年度を目途として、現在地での事業を廃止する意向を登別市に表明しました。しかし登別市が土地を用意し、市民のニーズがあれば移転し事業を継続検討の余地があることに対し、土地の譲渡の考えはあるのか、また過去5年間の数値を踏まえ、移転する地区等を政策提案しました。以下、檀上での質問内容です。この問題に興味のある方はお読みいただければ幸いです。

 

一般質問(平成2712813時)

市政クラブ21の若木康夫です。

それでは平成27年第4回、定例会に当たり、先の通告に従いまして、大綱1件、登別市の医療施設について、項目1、JCHO登別病院の廃止について質問をいたします。

先月より新聞等にて、独立行政法人地域医療推進機構登別病院、JCHO登別病院が、温泉地区から、撤退の意向であるとの、報道が何度かなされております。この報道より先に、我々議員には11月10日に市担当グループより事前に、病院が廃止されるという情報提供がありました。その情報を聞き、登別市の今後の医療体制に対し、大きな不安を感じたことは言うまでもありません。さらに、先般行われた生活福祉委員会を傍聴いたしましたが、やはりJCHOの意向は、現在地での事業運営の終了、しかし 登別市からの土地提供と医療継続のニーズがあれば 存続の検討の余地があるとの内容であったことから、JCHO側の意向を今一度確認してほしいと強く念じる次第です。

まず、ここでJCHO登別病院が、どのような経緯を経て設立され、現在に至っているのか、概要を述べたいと思います。 

昭和20年9月 当時の財団法人厚生団が北海道、東北地方での整形外科療養所の開設計画に伴い、当初の予定では、定山渓付近が候補に挙げられておりましたが格好なものがなく、当時の幌別村、登別温泉地区が有望とされ、昭和21年6月28日、整形外科療養所として,職員9名、24床で診療がスタートいたしました。その後24床から60床に増床、昭和26年度には新設の計画が持ち上がり、設備拡充のため、広い敷地が必要となったことから、洞爺湖温泉町への移転も考慮されましたが、当時の幌別村村長の意向により、現在の土地が譲渡されました、ちなみに昭和26年は町政施行により幌別村が登別町になった年でもあります。翌年の昭和27年12月、厚生年金 登別整形外科 病院と名称を改め、その後、さらなる患者の増加に伴い 増築工事が行われ、昭和41年3月、リハビリ施設として機能回復訓練棟が完成、昭和47年に病院の名称を「登別厚生年金病院」に改称し、診療科目を増やし、地域住民の需要に応じた医療機関として、設備の拡充が図られ 地域医療に貢献をしてきた経緯があります。平成16年の厚生年金 福祉施設の譲渡、廃止の流れにおいて、市民が中心となって 病院存続署名運動が展開され、当時の登別市の人口を超える数の署名が集まり、事業が継続されることとなり、平成26年4月、独立行政法人地域医療機能推進機構に改組され、JCHO登別病院として新たなスタートを切りましたことはご存じのとおりです。

病院は1号棟から4号棟の、全4棟で構成されていますが、特に1号棟、2号棟の背後は急斜面で、過去の災害経緯については、昭和58年9月25日、集中豪雨による大規模な地滑りを起こし、1階2階部分が土砂に埋もれ、壊滅的被害をうけましたが、幸いにして入院患者をはじめ、職員の被害が皆無であったことは まさに天佑であり、その後は大きな災害もなく、現在に至っております。

しかし、病院経営の主軸となるべき患者数は、減少の一途をたどっており、厚生年金時代から外部コンサルタントによる経営指導、内部によるプロジェクトチームの立ち上げ等、経営改善策も図りましたが、好転せず入院、外来ともピーク時の約半分となっております。そのような背景を踏まえ、JCHOによる、多角的な経営診断の結果、現在地では、今後も採算が見込めないとの判断で、現地からの撤退、新規一転、新天地での経営再建、移転案がでるのは全く自然な流れであり、地域医療を推進する同機構のミッションを鑑みれば、市民、住民に交通の便の良い、高齢者でも安心して通院できる場所で、良質な医療の提供と、誰もが等しく受診できるよう、市に新たな土地の相談を持ちかけるのは至極当然であります。

しかしながら、報道等において市長の考えは、今後も採算の見込みのない現地に、なお踏みとどまり、運営を続けてほしいと要望していることについて、もし廃止された場合の職員の雇用問題や、なにより市民、地域住民の健康維持、医療提供体制等に、大きな不安を感じずにはいられません。また冒頭に申しましたとおり、JCHO側は市内に移転して規模を縮小しながらも、登別地域のニーズに合わせ、運営を継続してもよい意向であるのに対し、登別市側の意向は、温泉地区での存続を要望する以外は いまだ未確定であり、ぜひ市長からは関係団体、市民の声を聴き、事業の継続をJCHO側に伝えるべきであると、ここで重ねてお願いいたします。

過去数度にわたる他市町村への移転案が出ながらも、登別の地において事業を運営している病院に対し、ここで登別市が本当にJCHO登別病院を必要としている姿勢を示さなければ、文字通り登別市から撤退されてしまうという強い危惧を感じ、以下の質問をいたします。

 ①当市におけるJCHO登別病院の存在意義と認識について

かつて公的病院は北大付属病院分院、国立病院がありましたが相次いで撤退し、現在JCHOのみが存在しています。ある意味においては市立病院的な役割も含まれていると思いますが、登別市としてはどの程度必要であると考えているのか、その考えをお聞かせください。

②昭和の時代より、厚生団内部では現地での収支は見込めず、何度か撤退の案が出ていましたが、表面化せずにいました。 

JCHOは、登別市から土地の提供があれば、事業継続の、検討の余地があるとの意向に対し、市長がなぜ現在地での事業運営に固執するのか、その理由は観光客、修学旅行の誘客に影響がある等、の考えなのか お聞かせください。

③病院が現在、土砂災害警戒区域内にあることに対しての登別市の考えをお聞きします。

④JCHOから登別市に対し、例えば、市の遊休地等の土地とJCHOの土地の等価交換等の提案があった場合、受け入れる考えはあるのかお聞きします。

 

⑤JCHO廃止は登別市民、白老を含む地域住民におおきな不安を与えることが予想されますが、これは全市民の医療に直結する問題です。残してほしい診療科目等、アンケートを含めた全市民への意識調査と医療ニーズの把握を行う考えはあるのか、またあるとすれば、どのよう手法を持って実施するのかお聞かせください。

⑥新たな土地を登別市が用意せず、例えばJCHO登別病院がやむなく廃止、もしくは他市町村へ移転となった場合、登別市、のみならず西胆振の医療圏に大きな影響を、与えることになります。

また廃止となった場合、廃止に至った理由と市民への説明を含め、市民、地域住民に対する今後の、医療提供の考えをお聞かせください

  なお、病院側に確認しておりますが、長くとも、平成29年度を目途として、現在地での、事業運営の終了は、決定事項とのことです。

本件については、登別市の社会基盤にかかわる問題であり、多くの市民が注視していること、また残された時間は、多くはないことを申し添えて、以上、檀上からの質問といたします。

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